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インドの猫

日記というか、気が向いたと記

カウンセリングルーム

 卒論が進んでいない。週末に少しだけ帰省して、今日は9時ごろに起きたんだけれど、どうもミーティングに行く気が起こらず休んでしまった、ついでに午後の実験も休んだ。3時ごろに家を出て、先生に2度ほど薦められたカウンセリングルームの前をうろうろしていたが、どうにも話したいことなんてないので喫煙所で時間をつぶしていたら受付時間が終わったので帰ってきた。

 あまり卒論に興味が持てないというか、そもそも物心ついた頃から特に具体的な目標を持って行動したことがないというか、世界はあるがままに存在しているのでそれ以上のことに興味がないということかもしれない。地球には様々な綺麗な景色があるというけれど、それを身をもって見に行かなくても、ほとんどその存在だけで満足してしまう場合が多い。無常観とも違うと思う、永遠に続く物事があるとしたらそれはそれだと思う。と、いうわけで何気ない話で楽しいひと時を過ごすことはあれど、話したいことなんてないのだ。

 坂口安吾の「太宰治情死考」の一節に憂鬱が一時のものであることを太宰が知らないはずはない、と書いてあったのを思い出して、結論を忘れてしまったので読み返したら、つまりそれは一時の憂鬱に身を任せて死んだのだ、とのことだった。太宰治坂口安吾も身の回りに好きな人が多いので手をつけてみたものの、あまりよくわからなかったのだが、それはわかる。憂鬱が一時のものであることも知っているし、憂鬱でないのが一時のものであることも知っている。でもそれは私の中で良いとか悪いとかの判断を離れて状態として存在しているみたいで、他人から見たら悪いというのはわかるし申し訳なさはあるんだけど…。